小鶴 誠 (1953年)
小鶴ー!よう広島へきたのう!待っとったぞ!
言わずと知れた打点王。1950年に記録した143得点、376塁打、161打点は現在でも破られていない日本プロ野球記録となっている。
そんな小鶴は松竹ロビンスと大洋ホエールズの合併に際して広島カープに移籍。
移籍には当時の石本修一監督やファンの熱意が大きな影響を与えており、その獲得資金は当時の市民が行った樽募金によって集められた。
移籍初年度の1953年は全試合に出場しチームトップの14本塁打、74打点をあげ、4番としてチームを引っ張った。また、同年に同じく松竹ロビンスから移籍した金山とともに多くの盗塁も決め、今後広島のお家芸ともいわれる機動力野球の礎を築いた。
1953年成績 130試合 打率 .283(488-138) 14本塁打 74打点 33盗塁 OPS .814
パワナンバー 11700 72162 57553
査定
基礎能力
ミートパワーは成績に準拠、パワーが若干高く感じるがこの年が本塁打王でも27本、小鶴自身も14本塁打ながらセ本塁打6位とリーグ全体が打低気味であり、また二塁打は32本とリーグ最多であったためパワーはBに乗せた。
走力は33盗塁(リーグ3位)であり、守備も守備率が一塁1.000、外野.988と安定している。また、強肩であるとの記載も多く、30という年齢を加味してもある程度高い水準の守備走塁とした。
特殊能力
チャンスB
74打点(リーグ5位)と過去の実績から
盗塁B
33盗塁(リーグ3位) 盗塁成功率86.8%(33盗塁,5盗塁死)
走塁B
32二塁打(リーグトップ) 80得点(リーグ5位)
回復B
全試合出場
併殺
14併殺(リーグ6位)
選球眼
68四球(リーグ3位)
積極盗塁
33盗塁 38盗塁企図(リーグ3位)
人気者
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