鵜狩 道夫 (1959)
チーム黎明期を支えた本格派右腕
1955年に西鉄ライオンズに入団、当時から期待はされていたが活躍できず、58年に大和田とともにトレードで広島に移籍。1年目から6勝を挙げると翌年には規定投球回に到達し11勝をあげる。その後は身体の不調もあり一時成績が低迷するが64年には9勝、翌65年には10勝と復活を遂げた。
1959年は202.2イニングを投げリーグ7位となる防御率2.52を記録、長谷川や備前とともに2ケタ勝利を挙げ3本柱を形成した。また、鵜狩とともに移籍した大和田も4番に定着し、2人でチームを引っ張った。
1959年成績 46試合 11勝10敗 防御率2.52 202.2回 127奪三振
パワナンバー 11000 72218 82503
査定
基礎能力
球速については詳細な記録を残したものが見つからなかったが、この時代において本格派とはされているが速球はとはされていない右腕ということで145km/hとした。コントロールはBB/9 2.62から、スタミナは勝利数の20%を完封が占めているという記載もあるため、高めに設定している。変化球はこのニュースからカーブとシュート、またこの動画で縦の変化球と記載があることからカーブはドロップにした。
野手能力に特筆すべき部分はないが、外野や一塁を守った経験があるらしい。
特殊能力
ノビC
本格派との記載があり、ストレート145km/hだけではさすがに厳しいので
回復B
46登板200イニング超、この年以降ケガにも悩まされたという記載があったのでケガしにくさはD
重い球
こちらの記事から。元記事は見つかってないです。
回またぎ○
中継ぎとして71イニング消化(22試合)
調子極端
この記事に良い時と悪い時の差がはっきりと出ているとの記載
送球E
失策は普通程度(通算7失策)
ミート多用
通算本塁打0
秋男
wikiにシーズン終盤に勝ち星を重ねる傾向との記載 次作以降つけられたら…